猫に付かれた家

職業弁護士。一男一女一猫の母。地域猫(3匹+α)の世話焼き中

そんなつもりはなかったけれど ー猫に付かれるまでー

昨年(2021年)1月に戸建てを新築し、2月から暮らし始めています。

 

念願の、というほど長年一軒家暮らしに憧れていたわけではありません。実際、昨年のはじめ、家を買い替えようかと不動産巡りをしていた頃は、まずマンションありきで検討をしていました。私は生まれた時から集合住宅暮らしで、ゴミ出しや防犯面での便利さから、一軒家は検討の対象外でした。

 

しかし、「桜並木沿いの静かな環境で、きっと気に入られると思います!」の推薦文とともに不動産屋の営業Oさんが送ってくれた一通のチラシ画像により、一軒家購入プランが射程圏内に飛び込んできました。Oさんお勧めの家の立地は、現地を訪れて一目で気に入りました。

 

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でもその時、まさか当該一軒家を取り壊した更地に、新たに家を建てるつもりはありませんでした。この家をリフォームしよう、というのがOさんの案内で私たち夫婦が立てた計画でした。

 

ところが、老夫婦のために作られた一軒家は、家族4人にはいささか暮らしにくそうで、リフォームをするなら家の構造ごと変える必要がありました。その場合、当然予算は跳ね上がります。それなら新築ができちゃうのではないか、でも予算的に無理だよね、やっぱり多少不本意だけどリフォームになるかね、と私たち夫婦は話していました。ちょうど、当該一軒家の売主側不動産店は住宅メーカーで、悩む私たち夫婦に、当該メーカー別部署から派遣された営業Yさんが鮮やかなプレゼンを行ったことにより、私たちの気持ちはリフォームから離れました。折しもコロナ禍が始まって住宅展示場が閑古鳥となり、景気回復の頼みの綱の東京オリンピックが延期になり、住宅メーカー業界もまた先の見えない逆風に晒されていました。そこで、新築を建ててくれるならとYさんがお見積りをぐぐっと削ってくれたことで、戸建て新築への道が拓かれたのでした。

 

たしかに、家を建てるつもりはありませんでした。しかしやるからには満足のいくものを作りたいと、「3Dマイホームデザイナー」を購入し、iPhoneのメモ帳に何度も図面を書き直し、Yさんのところの建築士と議論を交わしました。寝不足を繰り返して図面を完成させ、内装・外構の仕様を決定すると、地鎮祭があり、あっという間に工事が始まり、棟上げがあり、竣工し、引渡しの日を迎えました。こだわればこだわった分、大工さんたちの手によって家が形を整えていくにつれ、自分の手を離れるような寂しい気分がやってくると、家づくりの先輩のブログで読んだことがあります。

 

もの哀しさは、家に連なる人生の先行きにまで及びました。

 

もう、人生の半ばを過ぎていました。新たな我が家で過ごす残りの人生では、これまでの人生で共に過ごしてきたものを、静かに見送ることになるのだろう。子どもたちはどんどんと独り立ちし、大切な人たちとの哀しすぎる別れがあり、自分の健康もこの手から零れ落ちていく。そのうちこの新しい家も古くなり、やがて、古くなりすぎた私を見送るのだろう。そんな感傷的な思いに駆られていた私は当時、「見送る家」という文章を書いてPCに保存していました。

 

それなのに、ここに移り住んでから、予想もしていなかった新たな出会いがありました。猫です。

 

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猫たちはまず、地域猫として現れました。引越していつの頃からか、お向かいのTさんが餌の面倒を見ている、黒主体のはち割れの姉妹猫と白主体のはち割れの別猫の姿を気にかけるようになりました。自宅でも猫を2匹飼っているTさんは、既にこの外猫たちとは数年にわたるお付き合いだと聞きました。しかし私は、猫のお世話をしたことがなく、仕事と家事の両立で精一杯なところ、法律家として動物の面倒をみると責任も伴うことは承知していましたので、積極的に関わるつもりはありませんでした。そもそもはじめは、地域猫という概念すら知りませんでした。

 

ところが、Tさんから話を伺ったりGoogle経由で色々調べたりする中で、世の中には、野良猫と家猫の間に避妊処置済みで片耳のカットされた地域猫(カットされた耳の形状から「サクラネコ」とも言います。)という存在があることを知り、日増しに家の近所の3匹への興味が膨らんできました。そして「うちでも餌をあげたい」という子ども達の声に押されるように、夏前にTさんにお世話を志願することになりました。

 

我らがサクラネコは、家の庭の南側土部分に糞尿を落としていくこと。その始末をするのに、トイレを玄関入ってすぐの場所に設計しておいて良かったと、あの頃はそんなつもりじゃなかったけれど、思ったこと。「ホソ」と「フト」の姉妹猫はつかず離れずの距離を保って、一緒に行動していること。ホソはお腹が空いたとき、Tさんや私や家族を見かけると、にゃーとフトを呼んで一緒にご飯にありつこうとするが、いざお皿に首を傾ける段になると「ふんっ」と鼻を鳴らせて我先に食べようとすること。冬が近づいてきて、朝晩寒かろうと庭の西に設置したコンテナ小屋の布団の上で、二人団子のようになって眠っていること。残りの雌の「ブチ」は、Tさん曰くホソやフトが子猫だった頃から、二匹がご飯に来ると先に譲ってあげる、優しい性格であること。ブチはカリカリより柔らかめのキャットフードが好きで、カリカリとブレンドしてあげると一層よく食べること。明け方、玄関横に設置した市販の三角型のキャットベッドでよく眠っているのを、Tさんがよく見かけていること(ブチは超のつく慎重派なので、私たち人間家族の気配がしている間はそのベッドに入らないようです)。

 

私はどんどんと情が湧いてきて、『野良猫の飼い方』(NPO法人東京キャットガーディアン監修、大泉書店、2018年)を購読し、リビングの本棚に置いてはしばしば読み返すようになりました。今の時代、猫は室内飼いが主流であることも、その頃知るようになりました。随分冷え込むようになったし、全館空調の我が家で過ごしたら、3匹にとっても快適なのではないかと思ったりもしました。しかし、ホソ・フトは広い野外を縦横無尽に飛び回り、ブチは以前人間にいやな目に遭わされたのか、餌やりの時ですら1.5メートル内に人を寄せ付けません。ですから3匹とも室内飼いは難しそうですよねと、よくTさんと話をしていました。

 

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そんな11月のある朝、私と子ども達がホソ・フト・ブチに餌を上げようと玄関を開けた途端、目が合ったのが、隣のマンションの駐車場に座っていたキジ白柄の猫でした。その日まで見たこともない子でしたが、人懐こく、3匹のお姉さん達が食事を済ませた後、私たちのそばに寄ってきて残った餌を食べ始めたのを皮切りに、未だ私たちがお姉さん達とはやれていない猫じゃらし遊びに夢中になりました。

 

そのうち、うちの裏の共有私道の先に住んでいて、よく猫を散歩させているSさんが通りかかり、「あらこの子、うちの裏でよくで見かける野良よ」とその猫をひょいと持ち上げると、生後約6ヶ月、雌と診断してくれました。私たちが人間の昼ご飯を用意するため家に入った後も、子猫はうちの周りをウロウロしていて、午後、私がいつものように糞尿を処理しようと玄関を開けた隙に、家のフローリングに上がり込んできました。そして急遽開かれた家族会議により、その子、「ソラ」は家猫として迎えられることになりました。

 

人が猫を選ぶのではなく、猫が人を選ぶのだと言われます。僭越ながら、私も猫たちに選んでもらえたのでしょうか。ここに至るまで、猫と暮らすなんて思ってもいませんでした。私が描いていたはずの人生は、これまでもそうだったように、よそさまが入ってきて易々と塗り替えられています。「不惑」をとうに過ぎてもこれです。そんなつもりはなかったけれどと思うことばかりであり、その結果、人生は別の方向に膨らみます。案外、私の考えが浅はかなだけだったのでしょう。実際には、その時点の私には見えていなかった伏線が、既に陰に陽にあって、そんな線が私と絡み合って、この世界の一端を織りなしてきたし、これからも織りなすのかもしれません。

 

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そういえば、我が家の西側、自転車置き場の通路上には、肉球の跡がくっきりと残されています。土台のコンクリートが流し込まれた段階で、ホソかフト、ブチかソラの親猫、あるいはまだ知らない猫が、通っていたのかもしれません。

 

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※noteにも掲載中

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